増税延期は次世代の為ならず

今回の消費税増税の延期については、賛否両論はもちろんあるだろうが、問題の論点は「政策はどの程度長期的視点で決定されるべきか」ということになるのではないだろうか。

増税延期賛成側の意見を聞いているとあまりに視点が短すぎるように思える。

増税されたら生活が苦しい、消費が弱まって景気が冷え込む、選挙に勝てないなど、どれも短期的な話に陥っている。もちろん、増税で生活が苦しい人がいることは事実だろうし、増税によって消費が弱含むことも、人気を集めない政策であるため選挙が苦しくなることも事実だろう。

 

その一方で、日本の国債残高はすでに国民一人あたり換算で800万を超える水準であることを考慮すると、短期的な視点でいられなくなる日も近いのかもしれない。日本政府はハイパーインフレを作り出すこと(日銀が貨幣を大量に発行することで、モノに対するカネの量を増やし、カネの価値を下げ、借金の返済を容易にする)で、現状の債務過多の状況を克服しようとしているとも言われているが、そのくらいのことをしないと、日本の抱える借金の返済は難しい段階まで来てしまっている。

 

現状維持することは、どこかの世代で、その負担を負わされることを意味する。

今後も現在の水準の社会保障を継続した場合、いずれ膨張した国債が信用を失うとともに、円の価値は暴落し、ほとんど日本円で預金している日本国民にとって、貨幣の実質価値が低下することにより大きな痛手を受けるだろう。言い方は悪いが、ババ抜きゲームのようなものだ。

 

そもそも我々はどの程度長期の視点を持って、このような政策を決定すべきか。正直1000年後のことも考えてというのは、あまりにイメージが沸かないし、かと言って、2、3後が良ければそれでいいというのではないことはわかっている。少なくとも、今後生まれてくる赤ちゃんが、誕生と同時に何百万も負債を負うのは、あまりにも不公平だし、不憫だ。なにせ彼らに責任はないし、今この時点で声を上げることすらできないのだから。だから、せめて我々は自分の一世代後の人たちに負担を負わせるように政策を進めるべきではないだろうか。そのためにも、目先の痛みを回避できればいい、難しいことは頭のいい人たちに任せればいい、政治家の仕事だろう、という他人事の姿勢でいるべきではない。ひとりひとりが自分の問題として、何ができるか、どうするべきか、考えなければいけないのではないだろうか。