《僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと》を読んで

実に身に染みる内容でした。

すべてに同意できるわけではないが、今の自分にあてはめて本書を読むと、ギクっとしてしまうことが多く書いてありました。

 

組織に嫌気が差している今の自分にとって、組織人とはなにか、どうやって組織人として振る舞うべきか、再考させられる内容でした。特に今の自分は様々な物事において、「自分」という視点に重きを置きすぎていたことを反省しました。「組織」の視点から物事を見て、行動することも大事なのだと。そしてこれから軌道修正を図る必要があると思いました。

 

多くのビジネスマンにとって何か気付きが得られる内容だと思いました。

自分にとって印象に残った部分を以下に抜粋しました。

 

“隅から隅まで善意で満たされた会社は存在しないように、すべてが嫌悪の対象となるような会社も存在しない。学生から社会人となり、そういうことを理解し、会社の本当の良さが見えてくるまでには、それなりに時間がかかるものだと思うのである。”

 

“正しいことをする、意味のあることをする、誰かの顔を立てるためだけのような仕事はしない、そんなことにこだわっていた。たとえ波風を立てたとしても、結果的には組織にとってはその方が良いのだと。”

 

“最終的に議論を制するのはトップに決まっているのに、なぜ自分の意見に固執して結果的にキャリアを潰してしまう人が多いのかというと、「出世よりも自分の哲学・生き方を貫く」か「トップのために自分の哲学や生き方を曲げる」か、という究極的な選択を迫られた時、前者を選ぶ人が多いからだ。”

 

“「自分の生き様や哲学を曲げない」というのもひとつの生き方であり、それで会社の出世を諦めるというのはひとつの見識である。会社というゲームに勝つことが、必ずしも人生の勝利ではないことは明らかだ。そういう生き方を選び、会社を去っていった多くの人たちを僕は見てきた。けれども問題なのは、そうした覚悟もなく自分の生き様を貫こうとして、上司や組織の意向に逆らう人たちだ。”

 

“僕は正しいことをやっている。正しいことは組織でも結局は認められるはずだ。僕はそれを「信念」というものだと思っていた。しかし、「信念」というと聞こえはいいが、たいていの場合それは物事に対する方向とか姿勢に過ぎない。したがって、それが正しく作用するときもあるし、反対方向に作用してしまう時もある。究極的には、組織というものは何らかの理由で正しくないことを止むを得ずしなくてはならない時だってあるかもしれない。”

 

“僕はその一方で、職制上自分より強い立場にいる上司に対して楯突いたり、面目を失わせたりすることは、自分の勇気や狭義心を証明することではあっても、悪いことだとは感じなかった。自分や部下が人間として普通に弱いところがあることは認めていたくせに、上司も弱い人間であることを決して認めようとしなかったのである。”